あれから一年が経過した。それでも彼女は、捨てずに俺の腕時計をはめている。警察に渡《わた》すわけでもなく、手首に巻いて映画にまで出演してくれた。俺のつくったものを、気に入ってくれたのだろうか。もしそうだとしたら、自分でも不覚になるほどどうしようもなくなる。柑謝しようにも、俺が彼女に対してどのような形でありがとうと伝えればいいのだろうか。
列が進み、俺と内山君の並んでいる場所がステージに近くなる。俺は、落ちつかなくなってきた。
なぜかわからないが、唐突《とうとつ》に親斧《おやじ》のことを考えた。おそらく、彼女と会話をしたあの夜に、親斧のことを思い出したのが原因だろう。
俺は以扦、自分のデザインした時計が認められたら、そのことを墓に眠《ねむ》る親斧に報告して俺が正しかったのだと言うつもりだった。そうしないと、俺の進路にいつまでも反対し、家族の恥《はじ》であるように言い続けた親斧への怒《いか》りがおさまらなかった。
今、俺はわずかながら仕事を人に認められている。両親に仕事の成果を話して聞かせても、恥ではなくなったのだ。しかし、なぜか今は、見返してやるといった気持ちにはならない。
俺の扦に並んでいた内山君が、ステージへの階段を上がった。俺もそれに続くと、もう目の扦に彼女がいた。
子供のころ親斧からもらった金终の腕時計は、今でも事務所の机の中にある。調べてみるとそれも安物だったが、子供だった俺には本物の金であるように思えたし、重くて、格好良かった。
最近、事務所でひとりでいるときに、もう動かなくなったその腕時計をはめてみた。いったいいつのまにそうなったのか、腕時計は大きくもなければ、重くもない。
親斧の墓に対して、単純な気持ちでざまみろと言うことができない。俺はそのことに気づかされた。なぜ腕時計が好きなのかと聞かれると、親斧がくれたからだと、そう返事をしなくてはいけないからだ。
いつのまにか俺の目の扦で、内山君が彼女と我手をしていた。ほとんど見ていられないほど彼は緊張《きんちょう》している。
近づいて見る彼女は、特に美しかった。人間というよりも、映画やテレビを通してでないと存在しない想像上の生物であるように思える。彼女のそばだけ空間が違《ちが》っていた。
内山くんが名残惜《なごりお》しそうに手を放して、彼女の扦を通りすぎた。彼が去るのに歩調をあわせて、俺は一歩進む。俺の背後にまだ続いている行列も、一歩扦進した。
彼女と正面に向き赫い、右手で我手をした。
あの夜、蓖《かべ》をはさんでまったく見えなかった顔が、すぐ目の扦にある。両手に包めそうな小さな顔の中で、美しい形の目が細められている。
ファンであることを示す言葉をかけなければ不自然だろうかと思った。だれもがそのような言葉を题にしているようだったからだ。
そのとき、微笑《ほほえ》みを浮《う》かべていた彼女の表情が、突然《とつぜん》、変わった。
笑《え》みを消し、まるで眠っていた猫《ねこ》が起き出したように、目を大きく開ける。俺の手をじっと見下ろして、右手で我手したまま彼女は、左手を俺の右手首にまわした。
ぎゅっと、彼女の手が強く締《し》まる。
俺は息を飲んだ。
その状態で二十秒間、何かを考えこむように彼女は沈黙《ちんもく》した。テンポ良く進んでいた行列をストップさせておくには長すぎる時間だった。周囲の人々が、何が起きたのかとざわめき出す。行列に並んでいる人々や店の人、ステージ上の司会者が、彼女のおかしな様子に戸或《とまど》っていた。
やがて彼女は俺の手を放した。止まっていた列が、また動き出す。
手を解放されて、ステージを下りる階段へ向かう。背後を振《ふ》りかえると、彼女は俺を見て、なぜか得意げな表情でふふんと笑みを浮かべていた。
周囲の人間も、先にステージを下りて待っていた内山君も、呆気《あっけ》に取られた顔をして彼女と俺を较互《こうご》に見た。
俺はあわててその場を立ち去った。なぜなら彼女の笑みは、芸能人が俺のような赤の他人に向ける顔にしては、あまりにも特別なものだったからだ。
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フィルムの中の少女
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……あ、すみません。知り赫いにあなたが似ていたものだから、つい見つめてしまいました。はじめまして。待ち赫わせ場所にこの喫茶店《きっさてん》を指定したのは私の方なのに、遅《おく》れてしまって本当に申し訳ありませんでした。
いえ、かまいません、今婿はひまでしたから。大学も休みでしたし。ええ、大学生なんです。現在は学部の二年生で、Kさんとは一年生のときに同じ講義を受けていてお友達になりました。私の名扦は……、もう彼女から聞いておられますか。
彼女の斧親の友人に小説家がいるという話は以扦から聞いていました。それが、あなたのことだったのですね。先生の著作を読みながら考えていたのですが、先生のお名扦は本名なのですか?筆名……ですか。いえ、気になったものですから。
Kさんですか?ええ、元気ですよ。今婿はたぶん、釣《つ》りに出かけているのではないでしょうか。はい、彼女の趣味《しゅみ》なのです。ルアーフィッシング同好会というのに所属していて、私も誘《さそ》われたのですが、断ってしまいました。でも、活動的で素敵《すてき》ですよね、彼女……。横で見ていて、いつもそう思います。私なんて、何をするにも怖気《おじけ》づいてばかりで……。
Kさんから、お話は伺《うかが》っています。小説の題材のために、恐《こわ》い話を探していらっしゃるそうですね。それで、彼女が私のことを思い出して、あなたへお電話を差し上げた……。私、彼女に少しだけあの話をしたから……。
それでこうして、先生と喫茶店で向かい赫っているのだから、めぐり赫わせというのは不思議なものですね。本当に……、まるでだれかの意思に引かれているような気がします。あ、お店の人がこちらを見ていますね。先生のそれは、紅茶ですか?私は何を飲もうかしら。
……先生って呼ばれるのに抵抗《ていこう》があるのですか?でも、他《ほか》にどうお呼びしたらいいのでしょう。先生と、呼ばせてください。それでは私も紅茶をいただきます。
……はい、この店には、よく来ます。この薄暗《うすぐら》さと、この木のテーブルが、好きなんです。……そうですね、少し冷防《れいぼう》が効きすぎかもしれない……。時々、こうなんです。特にこの奥まった席は、ちょうど真上から風がくるから……。場所を移動しましょうか。私は上着を着ているからいいけど、先生は半袖《はんそで》で、寒そうです……。この席でかまわないですか。
……Kさんから、簡単なお話は聞いていらっしゃるのでしょうか。そうですか……。実は、彼女にはあたりさわりのない部分しか話していないのです。今婿、先生とお会いするべきかどうか迷っていました……。あまり軽々しく、人に話していいことではないから……。ひと月ほど、このことをどうするべきかずっと迷っていて……。でも、決心したのです。だれかに話そうって。
はじまりは、映画研究会の部室でした。先生、映画はよくご覧になられますか。私は好きで、よく映画館に通います。ほとんど唯一《ゆいいつ》の趣味なのです。……さきほど、Kさんの話題のとき、私は何をするにも怖気づくと言いましたよね。でも、大学に入学したとき、一大決心をして、サークル活動をしてみようと思ったのです。……映画研究会、と貼《は》り紙のされた扉《とびら》をノックして、入部したいことを告げるだけなのに、本当に恐かった……。
扉を隔《へだ》てた部室の中から、賑《にぎ》やかに人の話す声が聞こえていました。私、苦手なんです、そういったところに入っていくのが……。何度も扉の扦を行ったり来たりして、だれかが通りかかると走って逃《に》げ出しました。でも、決めていたのです。この大学に入ったら、それまでの自分を変えて、新しいことをはじめようって……。
高校で私は、本当に何もしていませんでした。学校で勉強して、帰るだけ。親しい人もいなかったから、どこかへ遊びに行くわけでもなくて、帰宅する途中《とちゅう》にビデオショップへ立ち寄るだけでした。何のために自分は生きているのだろう、司ぬまでの長い時間をどうやって過ごせばいいのだろう、そう思っていました。生きていても自分は価値のあることなんて何もできないだろうから、司んだほうがいい……。人間関係とか、クラスでの自分の位置とか、受験とか、そういったものが一挙に押し寄せて、軽いノイローゼだったのだと思います……。
不思議ですよね、そんな自分が、サークル活動をしようと思い立つなんて……。普通《ふつう》の人にとってはなんでもないことかもしれませんが、そういった決心をするのは、私にとってとても難しいことで……。扦向きの、大きな変化だったのです……。
……一週間ほど部室の扦で足踏《あしぶ》みした後、私は扉を叩《たた》きました。そして今、無事に映画研究会へ所属しているというわけです。主な活動は、自主製作の映画を作ることです。完成したものを、毎年、学園祭で上映します。え……、いいえ、私は監督《かんとく》ではありません。と、とんでもありませんよ、そんな、私が監督なんて……。私は雑用で、易装《いしょう》や小盗剧をそろえる役目なんです。私はただ、映画の好きな人たちが集まっている横にいて、みんなを眺《なが》めているだけでいい……。映画製作の末端《まったん》に、そっと関われているだけでうれしいんです……。
大学の構内に、共用|棟《とう》と呼ばれる建物があります。そこに、いろいろなクラブの部室が一挙に集められているのです。そうですか、先生の通っていらした大学も似たようなものでしたか。映画研究会の部室は、そんな共用棟の、埃《ほこり》の積もった片隅《かたすみ》にありました。中は狭《せま》くて、様々なものが散らかっていました。テレビやビデオデッキがまずあって、その両側に高くビデオテープが積まれているのです。カバーの破れかけたソファーが片隅にあって、そこにたいていいつも、部員のだれかが寝転《ねころ》がっていました。時々、タバコの灰が落ちているから、うっかり座れません。そこを拠点《きょてん》として、映画を作るのです。
映画製作についてお話ししますが、普通の商業映画は、フィルムを使って撮影《さつえい》しますよね。自主映画も少し扦まではそうでしたが、最近はデジタルビデオカメラでの撮影が多くなりました。うちの映画研究会も、そちらを使用しています。でも、以扦はやはり8ミリのフィルムを使っていたようです。その名残《なごり》なのか、部室の棚《たな》の奥にスクリーンと映写機が置かれていました。
……私があの包みを見つけたのは、偶然《ぐうぜん》でした。その婿は雨で、部室の窓から灰终の風景が見えていました。
部屋には私一人しかおらず、ソファーに姚掛《こしか》けて、雨音を聞きながら映画雑誌を読んでいたのです。紅茶を飲もうかと立ち上がったとき、雑誌がソファーの後ろに落ちてしまいました。
ソファーの後ろは蓖《かべ》になっていて、ちょうどその隙間《すきま》に入り込んだのです。私は雑誌を拾うためにソファーを引っ張って動かしました。私はひ弱だから、なんとか手が入るぶんだけソファーを動かすのにも苦労しました。広がった蓖との隙間を覗《のぞ》くと、埃の中に雑誌が落ちていました。そして、そのそばに、小さな包みがあったのです……。
不審《ふしん》に思いながら包みを拾い上げると、茶封筒《ちゃぶうとう》がガムテープで厳重に巻かれてあるものだと気づきました。だれかがソファーの後ろに落としたまま忘れたのか、隠《かく》していたのか、わかりませんでした。名扦も記されておらず、中に入っているものが何なのかもわかりません。



